研究系及び研究施設の現状 71
岡 本 祐 幸(助教授)
A -1)専門領域:生物化学物理、計算科学
A -2)研究課題 :
a) 蛋白質分子の第一原理からの立体構造予測問題および折り畳み問題 b)生体分子以外の系への拡張アンサンブル法の適用
A -3)研究活動の概略と主な成果
a) 蛋白質は自然界に存在する最も複雑な分子である。よって, その立体構造を予測することは(その生化学的機能と の関係上,極めて重要であるにもかかわらず)至難の業である。 特に,理論的に第一原理から(エネルギー関数を最 小化することにより)立体構造を予測することは不可能と広く信じられている。それは,溶媒の効果を取り入れるの が困難であるばかりでなく,系にエネルギー関数の極小状態が無数に存在するため,シミュレーションがそれらに 留まってしまって,世界最速のスーパーコンピューターをもってしても,最小エネルギー状態に到達するのが絶望 的であるからである。我々はシミュレーションがエネルギー極小状態に留まらない強力な計算手法を,蛋白質の立 体構造予測問題に適用することを提唱してきた。具体的には,徐冷法(simulated annealing)及び拡張アンサンブル法
(generalized-ensemble algorithm)を導入し,これらの手法が小ペプチド系において従来の方法よりはるかに有効であ ることを示してきた。拡張アンサンブル法では,非ボルツマン的な重み因子に基づいて,ポテンシャルエネルギー空 間上の酔歩を実現することによって,エネルギー極小状態に留まるのを避ける。この手法の最大の特徴は唯一回の シミュレーションの結果から,最小エネルギー状態ばかりでなく,物理量の任意の温度におけるアンサンブル平均 を求めることができることである。拡張アンサンブル法の代表的な例がマルチカノニカル法(multicanonical algorithm) と焼き戻し法(simulated tempering)であるが,これらの二手法ではその重み因子を決定することが自明ではない。こ の問 題を克 服するた め,我々は 新たに T sal l i s 統計に基づく拡張アンサンブル法を開発した り,レプリ カ交換法
(replica-exchange method)の分子動力学法版を導入したりしてきた。特に,レプリカ交換法はその適用が簡便である ため,幅広い問題に適用される可能性がある。更には,正確な溶媒の効果をエネルギー関数に取り入れていくことも 大切であるが,距離に依存した誘電率で表すもの(レベル1)や溶質の溶媒への露出表面積に比例する項(レベル2) を試すとともに,厳密な溶媒効果(レベル3)として,R ISMやSPT などの液体の統計力学に基づくものや水分子を陽 にシミュレーションに取り入れること等を検討してきた。
昨年度には,まず,レプリカ交換法を多次元(多変数)に拡張した新しい拡張アンサンブル法を開発した。特に,温度とともに, アンブレラポテンシャルのパラメターを交換することにより,自由エネルギー計算が効率良く正確に計算できることになった
(この手法をレプリカ交換アンブレラサンプリング法と名付けた)。更には,レプリカ交換法とマルチカノニカル法の利点を合 わせた2つの拡張アンサンブル法(レプリカ交換マルチカノニカル法及びマルチカノニカルレプリカ交換法)の開発に成功 した。また,レプリカ交換法と焼き戻し法の利点を合わせたレプリカ交換焼き戻し法の開発も行った。
本年度は,レベル3の厳密な溶媒効果を取り入れた(T IP3Pの水分子を陽に取り入れた)拡張アンサンブルシミュレーション をアミノ酸数十数個の小ペプチド系にこれらの新手法を適用することによって,新手法の有効性を確かめたところ,確かに, 従来の拡張アンサンブル法より,有効であることが示された。
b)生体分子の系以外にもエネルギー極小状態が多数存在する複雑系では,拡張アンサンブル法の適用が有効である。
72 研究系及び研究施設の現状
本年度は,昨年度のL i6クラスターの計算に続いて,Gaussianによる電子状態計算を取り入れたレプリカ交換モンテ カルロシミュレーションを実行することによって,L i8クラスターのエネルギー最適化を行った。また,強い一次相 転移を示すスピン系である,二次元10状態Potts模型のシミュレーションも行った。一次相転移系ではレプリカ交換 法はうまく働かないことが知られているが,我々の新手法はこのような系でも有効なことが示せた。
B -1) 学術論文
Y. ISHIKAWA, Y. SUGITA, T. NISHIKAWA and Y. OKAMOTO, “Ab Initio Replica-Exchange Monte Carlo Method for Cluster Studies,” Chem. Phys. Lett. 333, 199 (2001).
T. OKABE, M. KAWATA, Y. OKAMOTO and M. MIKAMI, “Replica-Exchange Monte Carlo Method for the Isobaric- Isothermal Ensemble,” Chem. Phys. Lett. 335, 435 (2001).
B -2) 国際会議のプロシーディングス
M. KINOSHITA, Y. OKAMOTO and F. HIRATA, “Solvent Effects on Conformational Stability of Peptides: RISM Analyses,”
J. Mol. Liq. 90, 195-204 (2001).
Y. OKAMOTO, “Protein Folding Simulations and Structure Predictions,” Comput. Phys. Commun. 142, 55-63 (2001).
B -3) 総説、著書
S. ABE and Y. OKAMOTO, Eds., Lecture Notes in Physics: Nonextensive Statistical Mechanics and Its Applications, Springer- Verlag, pp. 1-277 (2001).
岡本祐幸, 「計算機シミュレーションによるポストゲノム解析」, 特集「ゲノム・生命・コンピュータ:ゲノム情報理学の創成」内, Computer Today 101, 66-73 (2001).
なお,本原稿は以下に再録。
「生命情報科学の拡がり:ヒトゲノム計画後の分子・情報・生命」 別冊・数理科学 pp. 54-59 (2001).
岡本祐幸 , 「生命現象に計算化学がどこまで迫れるか」, 先端ウォッチング調査「21世紀の化学の潮流を探る」内 , 理論化 学・計算化学の挑戦 , 日本化学会 , 65-70 (2001).
木下正弘、岡本祐幸、平田文男, 「水中およびアルコール中におけるペプチドの立体構造解析」, 蛋白質 核酸 酵素 46, 713- 718 (2001).
Y. OKAMOTO, “Monte Carlo Simulated Annealing in Protein Folding,” in Encyclopedia of Optimization Vol. III, C. A. Floudas and P. M. Pardalos, Eds., Kluwer Academic, pp. 425-439 (2001).
U. H. E. HANSMANN and Y. OKAMOTO, “Protein Folding: Generalized-Ensemble Algorithms in Protein Folding,” in
Encyclopedia of Optimization Vol. IV, C. A. Floudas and P. M. Pardalos, Eds., Kluwer Academic, pp. 392-401(2001). A. MITSUTAKE, Y. SUGITA and Y. OKAMOTO, “Generalized-Ensemble Algorithms for Molecular Simulations of Biopolymers,” Biopolymers (Pept. Sci. ) 60, 96-123 (2001).
杉田有治、光武亜代理、岡本祐幸, 「拡張アンサンブル法によるタンパク質の折り畳みシミュレーション」, 日本物理学会誌 56, 591-599 (2001).
岡本祐幸, 「ポストゲノム時代の生体分子シミュレーション」, 特集「ゲノムサイエンスの新地平:30億文字の生命設計図を 探る」内 , 数理科学 458, 36-43 (2001).
研究系及び研究施設の現状 73 B -4) 招待講演
岡本祐幸, 「生体分子系の大規模シミュレーション」, 第 4回シミュレーション・サイエンス・シンポジウム, 土岐 , 2001年 2月. 岡本祐幸, 「バイオ分野での計算科学シミュレーションへの期待」, 次世代型計算科学ソフトウエアに関するシンポジウム「ナ ノサイエンス& テクノロジーにおける新しい計算科学シミュレーションを考える」, 東京 , 2001 年 2 月 .
岡本祐幸, 「計算化学としての生体分子シミュレーション」, 日本化学会春季年会イブニングセッション先端ウォッチング「理 論化学・計算化学の挑戦」, 神戸 , 2001 年 3 月 .
Y. OKAMOTO, “Generalized-Ensemble Simulations of Spin Systems and Protein Systems,” STATPHYS21 Satellite Conference: Challenges in Computational Statistical Physics in the 21st Century, Athens (U.S.A.), July 2001.
岡本祐幸, 「スピン系と生体分子系の拡張アンサンブルシミュレーション」, 慶應義塾大学理工学部セミナー, 横浜, 2001年 10月 .
岡本祐幸, 「タンパク質折り畳みの拡張アンサンブルシミュレーション」, 早稲田大学タンパク質立体構造の理論的研究討論 会 , 東京 , 2001 年 11月 .
杉田有治 , 「レプリカ交換法の拡張と溶液中の蛋白質折れ畳み問題への応用」, J B IR C セミナー, 東京 , 2001 年 11月 . 杉田有治 , 「拡張アンサンブル法の開発と蛋白質折れ畳み問題への応用」, 第 5 回シミュレーション・サイエンス・シンポジ ウム, 土岐 , 2001年 12月 .
Y. SUGITA, “Generalized-Ensemble Algorithms for Protein Folding in Solution,” Asian Joint Workshop for Protein Informatics, Osaka (Japan), December 2001.
B -6) 学会および社会的活動 学協会役員・委員
岡本祐幸 , 日本生物物理学会 会誌編集委員会委員 (2001- ). 学術雑誌編集委員
Journal of Molecular Graphics and Modelling, International Editorial Board (1998-2000). Molecular Simulation, Editorial Board (1999- ).
科学研究費の研究代表者、班長等
日本学術振興会未来開拓学術研究推進事業「第一原理からのタンパク質の立体構造予測シミュレーション法の開発」, プロジェクトリーダー(1998- ).
B -7) 他大学での講義、客員
京都大学化学研究所 , 「拡張アンサンブル法による分子シミュレーション」, 2001年 2 月 8-9 日 .
C ) 研究活動の課題と展望
昨年開発した新しい拡張アンサンブル法(特に,レプリカ交換マルチカノニカル法とマルチカノニカルレプリカ交換法)を小 ペプチド系の厳密な溶媒を取り入れたシミュレーションに適用していくことによって,広く使われているA MB E R やC HA R MM などの標準的なエネルギー関数(力場)が蛋白質の立体構造予測が可能な程の精度を持つか否かを調べているが,この 判定は後少しで終了するところまで来ている。この判定には,エネルギー極小状態に留まらず,広く構造空間をサンプルす ることができる,拡張アンサンブル法の使用が必須であり,我々の新手法の開発によって,初めて現実的な問題になったと言
74 研究系及び研究施設の現状
えるであろう。もし,この判定の結果が可ならば,後は計算時間をどんどんつぎ込むことによって,いろいろな蛋白質の立体構 造予測が可能になるであろう。もし,この判定の結果が非ならば,より精度の高いエネルギー関数を独自に開発する必要が 出てくることになる。